芸術を学ぶ、それは美術史や技法を学ぶことだと思っていました。
大学で芸術を学び始めるまでは。

アートってよくわからん・・・。
世の中に必要なの?



アートを知ると、よりよく生きる方法がみつかるかもよ!
芸術:独 kunst 英仏art
光文堂 美学事典 [芸術]項より
「組み立てる、工夫する」、「困難な課題をたくみに解決しうる、特殊の熟練した技術」
人はアートなしで生きていける!?
美術品や写真、歌舞伎や文楽、オーケストラや音楽。これらはすべて芸術(アート)の分野に属します。生活必需品でないこれらは、生活には必要ないもののように思われます。
アートと呼ばれる分野にあまり関心のない方からよく聞かれるのは、
- わざわざ、お金を出して絵を見る必要ある?
- 絵を見ることが何の役に立つの?
- じ〜っと絵を見ても面白くもなんともない。
- 絵?テレビや雑誌で充分。
- 絵なんか見てる時間があったら、他のことしたい。
- 有名な展覧会は何時間も並ぶんでしょ?
- ○○派とか、○○様式とか、めんどくさい。
- 解説されると嫌になる。
- そんな高尚な趣味は持ち合わせておりません。
- 美術館なんて子ども連れで行けない場所NO,1。
- 現代アートって意味不明。
文化庁の調査によれば、概ね35%ぐらいの方が、文化芸術には関心がないと回答しています。


生存の技法
仙台メディアテークの館長であり、哲学者でもある鷲田清一は、アートについて
私たちの存在を塞ぐもの、囲い込むもの、凝り固まらせるものへの抗いとしてこそアートはある。他者との関係、ひいては自己自身との関係をたえず開いておくために、そこにすきまをこじ開ける動性として、アートはある。とすれば、生を丸くまとめることへの抗いとして、アートはいつも世界への違和の感覚によって駆動されているはずである。
[鷲田:2020 p.277]
と述べています。鷲田は”アート”を美的価値を目的とした、美術品やその創作活動ではなく、社会に対する違和の感覚を原動力としたものだと言います。そしてこのことが、社会システムに依存しなくても生きていける「生存の技法」を育てるとも述べています。
また、東京藝術大学先端芸術表現科主任教授、パリ国立高等芸術学院教授を歴任し、現在はパリで創作活動を続ける川俣正は、アートではない「アートレス」という概念を提言しています。
「アートレスの提言」。それは、あくまでも既存の美術言語や流行、スタイル、例えば「綺麗なもの」、「美しいもの」、「美的価値」や社会的な規範からなる常識的言語に裏打ちされた「美」なるもの全般に対する、懐疑を意味している。
[川俣:2006 p.24]
川俣は「美しいもの、きれいなものは、もういい」と言っているように聞こえます。
そして、既成のアートや、従来”アートではない”と考えられていたアートの市民の活動までも巻き込み、創作や表現の手前にある活動や周辺環境(土壌)も含め、敢えて”アートレス”という概念を提言しています。


美術と芸術
美術科教育研究の第一人者である、金子一夫は教科教育としての美術と芸術を下の図のように分類しました。


多くの人は、”美術”という概念に最初にふれるのは、学校の図画工作の時間ではないかと思います。
従って、美や芸術という概念を学ぶ前に、教科としての「美術」に触れることになります。そのため芸術や美について深く考えることなく、教科としての図画工作、あるいは高等学校における美術で、工作や、絵画の技法、木彫、版画、などを学びます。
つまり、日本人にとっての”アート”は教科教育としての美術として植え付けられます。
このことが、アートの解釈を固定化し「アートは贅沢と趣味の世界」という概念を作り上げてしまったのかもしれません。
芸術を学ぼう
「芸術を学ぶ」目的は、美術史や技法を学んだり、作家を目指すことだけではありません。
生きることついて学ぶには、哲学や社会学も近い分野かもしれません。
しかし、芸術の概念は、哲学や社会学をも含んだ、広大な概念として捉えられつつあります。
「やりたいことが見つからない」、「何をしたらいいのかわからない」という方は、芸術という
分野でヒントを見つけられるかもしれません。
「困難な課題をたくみに解決しうる、特殊の熟練した技術」として。
<参考文献>