便利な世の中です。
大抵の悩みごとは、スマホの中に解決策を見つけることができます。
しかし、いつもそうとは限りません。
身の回りには、人間関係、家族のこと、進路の問題。
答えのない問題もあふれています。
答えのない問題にぶつかったとき、わたしたちはどうすればよいのでしょうか?
わかろうとする能力
我々の脳は、不安なものや、わからないものを嫌い、わかろうとする性質があるそうです。
確かに、不可思議なものや、理解できないもの、顔は覚えているのに思い出せない人の名前、など、モヤモヤした気持ちは決して気分のいいものではありません。記憶のジグソーパズルがピタッと合った時、なんとも言えない爽快感を覚えます。このような脳の性質が探究心となって、あらゆる学問を発展させてきました。
学問の世界はともかく、我々の回りを見渡すと、答えのない問題は山積しています。身近なところでは、職場の人間関係、育児や介護と仕事の両立、将来への不安、世界に目を向けると、温暖化や紛争、貧困など、どれも容易には解決することはできない問題ばかりです。個人の問題も世界の問題も、極めて深刻な問題でありながら、パズルの一片は見つからず、そもそもパズルの一片があるのかさえわかりません。
学校教育では、誰もが納得する方法で、明確な答えを導き出す能力の獲得が目標とされます。我々は答えを出す訓練を受け、問題に向き合ったときに、何らかの答えを導き出すことには慣れています。そのため、答えのない問題に向き合ったときの対処には不慣れです。
最も簡単で多くの人が経験しているのは、その問題から目を背けること、問題をなかったことにしてしまう方法ではないでしょうか。
負の能力
ネガティブ・ケイパビリティという言葉があります。「負の能力」または「陰性能力」と訳されます。英国の詩人ジョン・キーツが唱えた概念だそうです。
この言葉は、フェイスブックで紹介されていた書籍で知りました。小説家であり精神科医でもある帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)の著書にはこうありました。
“私たちは「能力」と言えば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育が不断に追求し、目的としているのもこの能力です。問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。ネガティブ・ケイパビリティは、その裏返しの能力です。論理を離れた、どうにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。”
帚木蓬生/著 『ネガティブ・ケイパビリティ』朝日新聞出版 2017年 p.9
帚木は、難局に直面するたび、ネガティブ・ケイパビリティという言葉を思い出すことで、逃げ出さず、その場に居続けることができた、命の恩人のようなことばだと語っています。
考え続けることは、苦しいことです。しかし、だからこそ、この苦しさに耐える能力が重要だと帚木は指摘しています。
答えのない問題に「めんどくさい」、「意味不明」というレッテルを貼り、忘却の彼方に追いやる方法もあります。悩んでも仕方がないのだから、それ以上考えることをやめ前に進もう、というポジティブなイメージがあります。しかし、その方法は時として「排除」を意味します。
「わからないこと」を排除、否定、無視する態度は、いじめや、暴力、暴言、差別や偏見の遠因になっていないでしょうか。そうであるならば、ネガティブ・ケイパビリティはこれらの解消にも、重要な役割を果たしてくれそうです。
わからないこと、答えのない問題に向き合うチカラ。
ネガティブ・ケイパビリティ。
それは現代社会に最も求められているチカラかもしれません。
<引用文献>
帚木蓬生/著 『ネガティブ・ケイパビリティ』朝日新聞出版 2017年 p.9