社会では様々な時に、二者択一を迫ります。
それは、とても明快でわかりやすい選択のようにみえるため、
ビジネスや私生活においても非常に好まれる意思決定の方法です。
二者択一の問題
極めて複雑で多様化したこの社会を生きる上で、無数の選択肢の中から選択肢を二つに絞るということは、貴重な可能性を見逃すことに繋がりかねません。
特に、教員や団体の指導者、企業の役職者など、一定の権限を持っている人物はこの妄想を振りかざす傾向にあるようです。

さあ、やるのか、やらないのか?
AかBか?
右か左か?
はっきりしろ!
本当に選択肢は二つしかないのでしょうか?
多種多様な社会において、もちろん、そんなはずはありません。
選択肢は常に複数用意されているのに、自ら選択肢を狭めていることが多いようです。
人工内耳の事例
大沼直紀※1は、東京大学で人工内耳の研究を行っています。大沼は、聴覚障害者用に開発された人口内耳が、聴覚に頼らず「ろう文化」を重視すべきと考える”ろう者”と、残存聴力を活かして社会への順応を目指す”ろう者”との間に生じた障壁を報告しています。
人工内耳の普及に否定的なろう者は、日本固有の手話言語である「日本手話」によって受け継がれてきた「ろう文化」を尊重しています。「ろう文化」とは、聞こえない方、聞こえにくい方が受け継いできた、ろう者の間の文化であり、日本語とは異なる文法を持つ「日本手話」はその象徴ともいえる重要な要素です。ろう文化を尊重する人たちは、人工内耳は、聴力に頼る生活であり、ろう文化を否定し聴者の世界にろう者を無理やり引き入れるものだと主張します。



ろう文化の軽視だ!
一方、人工内耳を推進するろう者は、残存聴力を最大限に活用できることで、生きづらさを軽減できるのであれば、積極的に取り入れるべきと主張します。この事例では、人工内耳を使うか使わないか、どちらかを選べば残った方を手放さなければならないという、二者択一の関係性を前提に議論が行われています。



残った聴力を活かせるなら使うべきだ!
ところが大沼によれば、日本手話と人口内耳、ろう文化との共存は十分可能であり、むしろ導入や予後のサポートによって、双方の良い面を活かすことも可能と指摘しています。
社会障壁をなくす目的で開発された人工内耳が、一部の人々とっては、文化や尊厳を危うくする新たな障壁と思われ、その後、臨床用途やケアの方法が確立されるに従い聴力を活かすことと、ろう文化の否定は二者択一ではないということが徐々に理解されていきます。



人工内耳の良さを活かしながら、ろう文化を大切にする方法もありますよ
立場の違いによる事例
同じ事象に直面しても立場によって、障壁は真逆の性質を示す場合があります。筆者は、2020年3月東京都JR山手線品川駅で、車椅子を利用する男性が駅係員と言い争いになっている場面に遭遇しました。
男性は、自分が乗りたい車両を係員に告げたところ、駅係員は別の車両に乗るように促しまし。男性はこれを差別と受け取り、声を荒げて駅係員に抗議していました。



なんで乗りたい車両に乗れないんだ!
差別だ!



その車両めっちゃ混んでますから、他の車両の
方が楽かと思って・・・。
親切のつもりで言ったのに・・・。
両者の話しを聞いていると、駅係員は、当該の車両が朝の時間帯は非常に込み合うことを知っていました。車いすの男性が車内で邪険にされるのを心配し、比較的空いている車両への乗車を促したものでした。
もしも二人にアンケートを行ったならば、男性は「差別を受けた」と回答し、駅係員は「合理的配慮を提供した」と答えるでしょう。
この場面では、同じ事象が立場によってまったく逆の捉え方をされています。つまり、一つの視点に立ったモノの見方が、「差別を受けたか、受けていないか」、「合理的配慮を提供したか、していないか」という二者択一の価値判断を作り出していることがわかります。



この車両乗るか、乗らないか?
乗る選択肢しかない!



他の車両をススメるか、ススメないか?
ススメるしかない!
もしも二人にアンケートを行ったならば、男性は「差別を受けた」と回答し、駅係員は「合理的配慮を提供した」と答えるでしょう。
この場面では、同じ事象が立場によってまったく逆の捉え方をされています。
双方が、自分がつくった二者択一の選択肢が衝突を招いてしまいました。
実際には複数の選択肢があるのも関わらず、手っ取り早く二者択一に絞り込んでしまったことが衝突の要因
といえます。


この車両じゃないといけない理由はあるかな?



かなり混んでいる車両ですが、どうしましょう?
①なぜ、その車両の乗りたいのか聞く
②次の電車を待つ
③他の車輌にする
変化する障壁
筆者の研究の本題は、ミュージアムと障害者の間の障壁です。ここで用いている「障害者」の「害」の字について、様々な議論が繰り広げられました。
日本では1900年代後半から「害」の字が「公害」や「妨害」など、悪いイメージをもたらすとして、ひらがな表記「がい」が用いられ始めます。最も古い自治体の記録としては1994年札幌市栗山町が表記を「障がい」に改め、次いで2001年東京都多摩市などが続き、大矢雅之の調査※2によれば2019年の時点で、47都道府県庁のうち46%が「障害」、54%が「障がい」の表記を用いています。



いまどき、「障がい」が普通でしょ
しかし筆者による2022年5月の調査では「障害」が62%、「障がい」が38%と、「障がい」の表記を用いる都府県は減少していました。



表記だけ変えたって意味ないよ。
むしろ逆効果じゃない?


二者択一
人工内耳の問題では、技術や応用の不理解が、二者択一という安直な選択になり、障壁が形成される過程を確認しました。車いすの男性の事例では、立場の違いによる二つの視点が障壁に結び付く事例をみました。障害表記の事例では、「害」の表記の是か非かは社会の価値観の変化とともに変わる事を確認しました。
つまり、二つに絞った選択肢とは、時間の経過による技術や情報の変化、片方の立場からみた視点、社会的価値観の変化などを無視した瞬間的、かつ一つの視点に立ったものだということがわかります。
一見わかりやすく、理にかなった二つの選択肢に見えても、他の方法がないかじっくりと検討することは意思決定をする上でとても重要なことです。
<引用・参考文献>
※1 大沼直紀/著 「人工内耳によって『ろう文化』はなくなるか」
中邑賢龍・福島 智/編 『バリアフリー・コンフリクト』東京大学出版会 2012年 p.51
※2 大矢雅之/著 「『障害者』から『障がい者』へ:『しょうがい』表記から見る、
ノーマライゼーション社会へのアプローチ」公共政策志林8巻 2020年3月 pp.133-144